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プロフィール
自己至上最高の自分になるサロン プシュケ
オーナーセラピスト西村しのぶ と申します。
長くなりますが、自己紹介をさせていただきます。
【子供時代】
わたしは、1978年 東京 西東京市で生まれました。
血液型A型。
口調は、ゆっくりしていますがハッキリ言うタイプなので、よくB型?と思われることが多いです。
私が幼稚園の頃。
父方の祖母が同居していたり、父が、不動産屋やフィリピンパブを経営していたので、パブで働くフィリピン人のお姉さん達が、いっとき、一緒に住んでいました。
小さい頃から、色んな方に会っていたので表面的には人見知りしない性格になりました。
【わたしの両親】
父は、DV,愛人多数,金遣い荒い,ギャンブラー。
性格は、ひと懐っこく、甘え上手で、口が上手く寂しがり屋な人でした。
父ほどぶっ飛んでいるひとには、会ったことがないこともあり、あんまり動じない性格になりました。
母は、天然で人格者。
父にかなり苦労させられてきましたが、父の悪口を言ったことは聞いたことがありませんでした。
そんな訳で、子供の頃から天然な部分では、クレンザーで掃除していたらピカピカになるから、自分の顔も洗って荒れた!という伝説など、いろいろな伝説を残しています。
「しのぶちゃんは、しっかりしている。」
と言われる事も多々ありました。
【父から教わったこと】
子供の頃から、父によく夜中に起され、レモンを丸ごと食べさせられていました。
「美人に生まれたわけではないから、いつも笑っていなさい。
笑っていれば、可愛く見えるから。
男に逆らうな。
去った男は追うな。」
などなど・・
父には、勉強よりも、男と女について教えてもらうことが多かったです。
【バブル崩壊】
その後も父に隠し子がいることが判明したり、色々ありました。
15歳になった頃、バブル崩壊。
会社が倒産し、両親離婚。
両親が離婚して寂しい気持ちと、母に対して 良かったね。
という気持ちと、色々な感情が入り混じりました。
それから父は借金取りに見つからないように逃亡。
やくざ関係の人が、父が戻ってこないかを見張るために、家の隣に住んでいました。
こう書くと、怖い!
と言ったイメージを受けるかと思いますが、口数の少ない一切、害のないおじさんだったので、怖いという感情は全くおきませんでした。
こういった経験から、あまり動じない性格がさらに強化されました。
15年の人生の中でも色々なことがありましたが、母から
「自分が悲しい、辛い経験したからこそ、人に親身に優しくなれることもある。
誰でもこういう経験ができる訳ではないから、良かったと思いなさい。」
と、教えられました。
どんなに辛く悲しいことでも、考え方によりプラスに変わる事を学びました。
【高校生〜 初めての彼氏】
初めて付き合った人は6歳上の刑務官。
とても優しい 女好きな人でした。
家が好きではなかったこともあり、彼が一人暮らしを始めてからは、彼の家から学校に通っていました。
彼が夜勤以外は、ほぼ一緒にいましたが、付き合って 1年間は、私が処女だったこともり、身体の関係を持つ事が怖くて待ってもらっていました。
身体の関係を持つまでは、誠実な優しい彼だと思っていましたが、身体の関係をもってからは彼の女好きな部分が現れてきました。
彼が女を連れ込んでいるのに鉢合わせた時もありました。
それからも、いろいろあって計1年半ほどのお付き合いをして破局。
それから現在に至るまで、1ヶ月以上 彼氏・パートナーが途切れることなく、沢山恋愛をしました。
振り返ると、若かりし頃付き合った方々は 女癖の悪い人が多かったなぁと思います。
恋愛で悲しい想いも沢山したけど、恋愛は楽しい!!
一生恋していたいなって思います。
【父 死去】
22歳の頃、父が胃癌と判明。
当時 下北で一人暮らしをしていましたが、父から「病院代がかかる」と、頻繁にお金の催促をされていました。
父は、韓国人の方と再婚していました。
再婚相手の彼女は彼女で 水商売していた時に、お客様から貢がれたものを 売ってお金に変えて生活していたみたいで大変そうでした。
私は、当時 試食販売、事務仕事、宛名書き、チラシ配りなどなど。
派遣で色々な仕事をしていました。
病院代とは言え、一人暮らしして、お金を渡すのも限界がありましたが、ただただ、父から連絡が来るたびにお金を振り込んでいました。
病院代も 結構かかったので、夜スーパーのレジのバイトを増やしました。
働いても働いても 父に渡すお金は減らない。
父の病院代が足りない。
そう言った生活の中で、何度か倒れます。
ドクターストップ。
身体がついていかずに見兼ねた友人に
「わたしが働いているお店にきたら?」
夜のお仕事に誘われます。
最初は、断りましたがバイトの掛け持ちは
体力が持たず、夜のお仕事デビュー。
ちょうどその頃、昼の仕事もより待遇のいい派遣会社を紹介していただき、百貨店での販売の仕事にうつりました。
百貨店の仕事と並行して、夜のお仕事。
夜のお仕事は、指名があるほうがお給料が上がったので 指名を取るためにどうしたらよいのか。
本を読んだり、人気の方のお話を聞いたり、暇なときは店長に聞いて とにかく頑張って、人気ナンバー1になりました。
美人でスタイルがよくなくても人気ナンバー1になれるんだ!
病院代を必要な時にすぐ渡せるようにはなったものの父の病状は悪化していきました。
ここで、色んな感情が芽生えました。
これから先、父の病院代に、あといくらかかり、いつまで続くのか?
長生きして欲しいけど、先の見えない不安。
そんな生活が、2,3年続いた秋。
父は、病室で亡くなりました。
【1回目 結婚】
父が亡くなった頃、元派遣会社の社員だった男性と再会し、お付き合いすることに。
付き合って、3ヶ月後には結婚が決まり、その半年後に入籍しました。
私の喜怒哀楽の感情すべてを受け止めてくれて、かっこいい。
こんな人いない!と思って結婚しました。
が、今度は夫の借金が出るわ出るわ。
お金がなくて、食費を浮かしていたら、1ヶ月で自然に5キロ減っていたりして。
父の時以上に、こんなに働くことない!
っていうくらい更に働きました。
借金も、返しても返しても出てくるし、心身共に崩壊。
私が、自分でやってしまう性格だったこともあり、夫もどんどん甘えるようになり、だんだん男性として見られなくなりした。
そして、愛情が憎しみに変わっていきました。
些細なことでも夫に怒りを感じ、私自身
暴れることもありました。
(元はといえば、夫の借金が原因でしたが)毎日怒っている私に対して、夫はそれでも寄り添ってくれようとしてくれていましたが、私には無理で。
精神的に追い詰められて、追い詰められて、このままいったら、本当にまずいと思い、夫に離婚を切りだしました。
そこから、色々ありましたが どうにか離婚成立しました。
【人生の転機】
離婚してからは、整骨院の先生と付き合いました。
付き合って半年くらい経ってから彼の家に居候するようになりました。
仕事は、百貨店の洋菓子店で店長・店舗管理をやっていました。
いい加減なメーカーで、発注しても納品されなかったり。
いきなり大量のケーキが納品されたりして、百貨店の方には怒られるわ。
それでも売り上げを上げなければいけないしでストレスは募る一方。
ストレスと疲れで、胃が痛くなったり、手の感覚がなくなり。
しまいには、おねしょしていた時期もありました。
それでも仕事は楽しかったのですが、身体がついていかず、退職。
外に出るのも億劫になり、引きこもっていたところ、彼に
「俺に何かあって、1人でも生きていけるように手に職つけたら?」
と言われました。
鍼灸師を勧められましたが、お金もないし、そこまで通う気力もないし。
色々調べて、アロマセラピーとリフレの学校に通うことにしました。
そういった中で、ネットで調べまくって口コミの高いお店に行ったら、想像以上に上手な先生で何度か通いました。
通っている中で、先生に直談判して、直接 施術を教えていただけることになりました。
リフレの学校が終わり、アロマの学校は前期で辞めることに決め。
さぁ ボディワークの仕事を始めようかなと思っていた矢先、彼と破局してしまいました。
直接、指導してくださっていた先生に話したところ、先生のお客様で、マンション経営している方がいらっしゃり。
サロン可の部屋を貸していただけることになりました。
この時、わたしはサロンをやりたい訳ではありませんでしたが、せっかくのご縁だから。
という理由で、サロンを始めることに決めたのでした。
サロンを始めるまでの30年間。
こちらには書けないことも、まだまだありますが、いろいろな経験ができて良かったなって思います。
そして、ここからセラピストとしての人生が始まったのでした。